





確かにどう声をかけていいのかと気を使われるのはよくわかります。
私に限ってはもう全くいつもの通りで大丈夫です。
それよりご主人を今より0.5パーセントだけ大事にしましょう(笑)。
何かあった時には二人だけで戦うのは案外孤独です。友人はもちろんですが、役立つ福祉サービスなどを調べておくのもいいと思います。
私があまり気落ちしないで冷静でいられるのは多分、相方がそうだったことが大きいと思います。
今度ご連絡しますね。
そうですね。
うちと同じようなケースですね。さぞビックリされたことでしょう。
私もできるだけのことをしてあげようとしましたが、思い通りにいかないことも多かったです。
どうしても後悔は残りますね。
コメントは初めまして、です。
ご主人様がお亡くなりになり、お悔やみ
申し上げます。
私は父を2013年に肺がんで亡くしました。
2010年、ステージIの超初期で奇跡的に見つかった
と診断され手術して、今後ラクに過ごせると
思っていたのに半年後に転移が見つかり、
父はそれ以降の治療は拒否し、緩和ケアの
別の病院に移りました。
その緩和ケアに関しては全く迷っておりません。
母は元々精神的に弱すぎてほぼ付き添いも、
できず、娘の私ひとりで決めて最期を過ごす
であろう緩和病棟の見学も、父が亡くなる
半年前に私ひとり見学した後、誰にも相談
できない私は街を歩きながら大泣きしました。
看取りがどれだけ辛いか、出来ることなら
看取りから逃げれるか、そんな事も考えました。
母がムリなので私が、しっかりしているしか
ないので逃げる事もできなかったのですが。
いろんな手続きで大変なところ
長文コメント、失礼いたしました。
コメントありがとうございます。
お父様の看取りさぞ大変だったろうとお察しします。
初期で手術されてもダメなこともあるんですね。驚きです。
主人も肺がんでした。全く無症状で、転移したところから原病巣がわかりました。ただ、末期の発見から2年半も生きられたのは良かったと思っています。
私の場合、看取りの期間が短かったので良かったのですが、お父様の場合ら半年もあり、精神的にも肉体的にもお疲れになったと思います。
でも、お嬢様に看取られてお父様は幸せだったことでしょう。
いずれにせよ、避けられないことですが、看取りは辛いですね。

私も寂しいですが、悲しんだら夫が帰ってくるわけでもないので、慣れていくしかありません。
コロナ禍の中、日本に帰られるのは大変だったと思います。お母様のご冥福をお祈りします。
