限られた命への選択
2017年 07月 24日
あまり重いこと、深刻なことは書きたくないと思うのですが、今回、母の介護と死を巡るブログを記録に残す意味で書いてみたところ、思いがけずたくさんの方からコメントをいただきました。
ご家族を看取ったことのある方、病院で看取った方、自宅で看取った方。これからご家族を看取る方。看取り方に満足だった方、後悔を感じた方‥
やはり、家族の死と看取りは普遍のテーマなのだと実感しました。
さて、母の死にこだわっていつまでもグジグジしているのは嫌なので、昨日から本来のテーマに戻るつもりでした。
でも、反響が思いのほか多く、しかも深刻だったことからもう1話だけ書いてみることにします。(これでほんとにお終いよ,ジャンジャン)
それは不治の病いに冒された時、どういう選択をするかです。
胆嚢炎で入院した母が大腸癌も併発していることがわかり、それも肝臓と肺に転移しているとわかった時、正直なところ、手立ては何もありませんでした。
お医者様は「あと20歳若ければ手術を断行し、転移部分は抗ガン剤で叩くんだけれど」とおっしゃいました。
つまり、手術は出来るかも知れないけれど抗ガン剤の投与に92歳では耐えられないということなのです。
でも、鼻から管を通され、絶食させられている母を見ていると、せめて再び食べさせてあげられないかという思いがこみ上げてきます。
それでドクターと相談し、結腸部にあった癌はそのままにして、小腸の先の部分に人工肛門を造設。通りを良くして食べ物の摂取が出来るようにしました。
一時的な処置であり、いずれかの癌が大きくなれば終わりが来ることはわかっていました。けれどその間に、何か好きな物が食べられればいいなと思ったのです。
彼は日本でも有数の腹腔外科医。私が単行本の編集者だった時に著書を担当し知り合いました。
これまでにも親友が脳腫瘍にかかった時、主人が重い心臓病にかかった時に相談にのっていただき、それぞれ名医を紹介していただきました。
現在、関西のある市の市立病院で総長をしている彼に電話をしてみました。
母の年齢と病状を話すと少しだけ沈黙の時間が流れました。その後、今まで聞いたことのない静かな声で彼が話し始めました。
人工肛門にしてから亡くなるまでの約4ヶ月間。食べられるようにはなったかわりに筋力は落ちベッドの上の生活でした。クオリティ オブ ライフが上がったわけじゃない。
簡単にできることではありませんが。
全員に必ず訪れる最後。自分の身近だと亡くなった祖母や父。
最後は何ヶ月もチューブにつながれたまま。親は最後まで、子供に学習させるんだと思いました。自分の話だけになりましたが、何が幸いなのかは判断つきません。そんなに、お子様に思われてお母様は幸せですね。
セカンドオピニオンの先生のアドバイスは流石に的を得てますね。残念ながら、お母様は4ヶ月後にお亡くなりになってしまいましたが、口から栄養を摂る事で生命力は格段に上がります。何もしなかったら、お母様もご家族の皆様も、更に辛かったと思います。ベストの選択だったのではないでしょうか。
私の既に両親は亡くなっていますが、長兄が67歳で亡くなったのは堪えています。時々、兄の朗らかな笑顔が見たくなります。